途中で道が分かれるということ
学び始めた人の全員が、同じ歩幅のまま卒業の日までたどり着くとは限らないというのが実際のところです。途中で道が分かれていく理由はさまざまであり、一つの言葉に括れるものではないように思われます。
家庭の事情や仕事との兼ね合いによって、通い続けること自体が難しくなる場合も確かにあります。本人の熱意とはまったく別のところに理由があるという場合も、決して珍しいことではありません。
学んでいくうちに、自分の関心が別の場所にあるのだと気づいて、進路を選び直していく人もいます。それは失敗などではなく、むしろ早い段階で自分自身を知ることができたということでもあるはずです。
続けられたかどうかというこの一点だけで、その人のこれまでの歩みを測ることはできないと思われます。どんな事情があったのかは外からは見えず、その事情は本来いつでもその人だけのものであるからです。
積み上げたものは消えない
途中までであったとしても、手が覚えた工程や身についた作法は、その人の中に確かに残っていきます。包丁の扱いや衛生の作法は、その後どんな仕事へ進んだとしても日々の暮らしを静かに支えてくれます。
食材の見方や味の組み立て方を知っているということは、日々の食卓の場面でも確かに生きてきます。学んだ時間がまるごと消えてしまうということは、実際のところまず起こらないように思われます。
いったん離れたあとで、時期をあらためて学び直しに戻ってくる人がいることもよく知られています。事情が変われば道もまた開けてくるため、一度の区切りがそのまま終わりを意味するとは限らないのです。
調理師専門学校で学んだ資格に向けた知識も、後になって形を変えながら役立っていくことがあります。料理に関わる仕事の幅は思いのほか広く、進み方や関わり方が一つに定まっているわけではないからです。
まとめ
最後まで続けられなかったという事実だけを取り出して語ることには、あまり大きな意味がないように思われます。それぞれに事情があり、その事情を外から正しく測ることはできないという前提をまず置いておきたいところです。
途中まで積み上げてきたものは、思っているよりもずっと確かな形で、その人の手や目の中に残っていくものです。学んだ日々が無駄になってしまうわけではなく、別の場面で静かに生きてくることのほうがむしろ多いようです。
道が分かれるということは終わりではなく、あくまで選び直しなのだと受け取ることもできそうに思われてきます。いま学びの途上にいる人にとっても、そうした受け取り方は肩の力をそっと抜く確かな助けになってくれるはずです。